板藍根(ばんらんこん)は、アブラナ科のホソバタイセイの根のことで、日本では菘藍(しょうらん)または大青(たいせい)と呼ばれ、藍色の染料として用いられてきた歴史があります。
藍染めは奈良時代、平安時代頃から始まり、江戸時代中期には紺屋の名称で藍染め屋が繁盛しておりました。
鮮やかな藍色・・・。
実は武士の鎧の下に着用する下着や、農民のもんぺなどにも藍染め技術が使われていたようです。おしゃれが必要ない?と思われるものに何故、染色を施したのでしょうか?藍染めは「刀傷(切り傷)から身を守る」「虫に刺されにくい」「毒グモや毒蛇に襲われにくい」と考えられていたからでした。現代でも、板藍根(ばんらんこん)は多岐にわたり活用されています。昔の方は数多くの経験から知っていたのでしょう。上手に自然の理を活かしていたのですね。
板藍根(ばんらんこん)にまつわる中国の昔話をひとつご紹介いたします。
昔々、あるところに、下働きの男がおりまして、男は毎日山へ柴刈りに行く仕事をしていました。
その山には馬藍寺というお寺があり、板藍和尚という老住職がおりました。お昼時に男はいつも板藍和尚に白湯をふるまってもらっていて、そのお礼にお寺の水汲みを手伝っていました。
やがて、男は主人の娘と恋に落ちました。
娘には親の決めた婚約者がおり、さて、婚礼の日が近づいてまいります。
これを知った和尚は男に「死んでも生き返る薬」を渡しました。娘はこの「死んでも生き返る薬」を飲み、仮死状態になりました。娘の両親は彼女が死んだと思って、娘を埋葬しました。
男は夜中こっそり埋葬された土の中から棺を掘りかえし、娘を抱えて山寺に、しばらくすると、板藍和尚の言ったとおり娘は息を吹き返しました。
男は板藍和尚からもうひとつもらっていた「疫病に効く薬」を手に、娘を連れて逃げました。「疫病に効く薬」を売りながら、二人は幸せに暮らしました。
しばらく後、二人は再度、馬藍寺を訪れましたが、残念なことに板藍和尚は亡くなっておりました。
二人は板藍和尚からもらった「疫病に効く薬」に『板藍根』という名前をつけて、いつまでも幸せに暮らしたということです。
中国では板藍根(ばんらんこん)は非常にポピュラーな存在です。
風邪やインフルエンザの流行りやすい季節には、外出から帰宅後すぐに板藍根(ばんらんこん)の煎じ液でうがいをします。また、板藍根(ばんらんこん)の粉末を溶かした湯や、煎じた液を湯でうすめてお茶として常飲しているそうです。
板藍根(ばんらんこん)のお話
投稿日:2018年2月9日 更新日: